コラム『いつくしみ と あわれみ』

「いつくしみ と あわれみ」(寺だよりコラムより)

コロナに罹ってしまいました。幸いにして後遺症もなく、何より両親にうつさずに済んだことがありがたかったです。

自分が罹患するまでは、ご法事などの折に「これだけ感染者が増える中では、どれだけ注意していても感染してしまう可能性があります。

だから、もしご自身がコロナになっても周りの方にごめんなさいって謝らなくていいと思うんです…」とお話していたのですが、いざ自分が罹ってしまうとそうはいきませんでした。

家族はもとより、ご法事を他のお坊さんにお願いしたりお葬式の日取りや場所を変更してもらったりと、自分がコロナになったことで多くの人に協力してもらったり負担を掛けることになりました。

あの時に感染してしまったのかも知れない、あそこで気を付けていれば防げたかもしれないと、どうしても自責の念に駆られてしまい、変更のお願いやキャンセルの連絡をする度に、つい「すみません」「申し訳ありません」「ご迷惑をお掛けします」といった言葉が口をついて出てきました。

想像を働かせるのは大切だと思いますが、想像だけでは経験に追いつかないのだとしみじみと感じました。

私の病状はとても軽かったのですが、それでも療養期間の隔離生活は、日に日に気持ちを落ち込ませてしまうものでした。

ワクチンを打った時の副反応のような気怠さがあるのですが、果たしてそれは本当にコロナのせいなのか、それとも精神的に落ち込んでしまったせいなのか分かりません。

微熱があるような気もするのですが三十七度までは上がらず、普段体温を計らない私には平熱の範囲内なのか判断が付きません。

お腹の調子が悪いのも寝冷えのせいかもしれないし、精神的なダメージのせいかもしれません。

いずれにせよお医者さんに診てもらえないので正確なところは分からず、処方された漢方薬を飲んで過ごすしかありません。

何とも言えない申し訳ない気持ちと、病気なのか気のせいなのか判断のつかない症状と、出掛けたり人に会ったりすることのできない寂しさを感じる、もう二度と繰り返したくない日々でした。

そんな中で何より心の支えになったのは、家族の言葉でした。

「誰でも感染してしまう可能性があるから、責任を考える必要はないと思う。それよりも対応を考えることが大切」「世間的に感染拡大しているから、気に病まないように、気にしないようにするのが一番」とラインを送ってくれました。

今読み返してみても、本当にありがたいメッセージでした。

家族にしても色々な思いがあっただろうに、うわべの優しさではなく相手を想っての言葉だったからこそ、本当に嬉しく励みになりました。

お大師様の言葉に『仏心は慈と悲なり。大慈は楽を与え、大悲は苦を抜く』とあります。

私はこの言葉を「仏様の心は慈悲でできていて、仏様の慈しみの心は私たちに安らぎをくださり、仏様の悲(あわ)れみの心は苦しみを取り去ってくださるんですよ」という意味だと受け取っています。

辛く苦しい時ほど、人の優しさが心にしみるもの。

もし周りに感染して苦しんでいる方がいらしたら、ぜひ心からの温かい言葉を届けていただきたいと思います。

合掌

※寺だよりコラムより転載
記:矢田弘雅