コラム『余白に思う』

「余白に思う」(寺だよりコラムより)

本や雑誌を読んでいて、何だか読みにくいなあと感じることがあります。

書かれている中身が難しいとか文字が小さすぎるとかではなくて、開いただけで「うわっ、できれば読みたくない」と思ってしまうような本。

なぜそう感じてしまうのか、改めてその本を見たら理由が分かりました。

僕の感じ方のせいかも知れませんが、開いた時の「見た目」が強すぎて拒否反応が出てしまったようなのです。

作り手は少しでも多く文字や情報を詰め込もうとしたのでしょうが、紙面が満員電車のようになってしまって、中に入りたくないと感じてしまったのでしょう。

この春は寅薬師、十二年振りの秘仏薬師如来様のお開扉でした。

早くから他の霊場の情報収集や町田市との打ち合わせなどの準備をして余裕綽々で開扉会を迎えるつもりだったのですが、そううまくはいきませんでした。

いざ近付いてくると、細かな準備不足が次々と見付かります。

何とか間に合わせようとして次第に余裕がなくなり、そんな時に限って開扉会とは関係のないお仕事が入ってしまってさらにあくせくしてしまいます。

ようやく準備を終えて開扉会が始まると、やはり想像と実際は違うもの。

思い掛けないハプニングがいくつも起こります。

好天続きは有り難かったのですが、急に気温が上がったせいで四月からスズメバチが飛び交い対応に追われる一幕もありました。

他にも参拝された方からのリクエストやお当番さんから改善のアドバイスをいただき「十二年に一度の開扉だから、少しでもいいものにしたい」と思って精一杯の対応をしました。

でも、今になって振り返るとこれがいけなかったようです。

いつも何かに追われているような気持になってしまい、目の前にある喜びを味わえない。

やり終えると何をしたのか覚えていない。

やり忘れていることはないかと常に緊張して肩が凝り、布団に入っても眠いのに寝付けない。

始まって十日もすると、そんな状態になってしまいました。

このままではとても三十日間の開扉会を乗り切れないと思い、「やったほうがいいことをやる」のではなくて「やらなくて済むことはやらない」と考え方を変えるようにしました。

急に考え方のクセは治せませんでしたが、「まあこの程度ならいいかなあ」といくらか心にゆとりが持てるようになりました。

不思議なもので、私の気持ちにゆとりがあると「弘雅さん、代わりにやりましょうか」「よければ手伝いますよ」と、いくつものお声掛けをいただき、ますます心のゆとりができる好循環が生まれてきました。

確かに、あまりにも忙しそうでピリピリしている人には、声を掛けようと思っても躊躇してしまいますものね。

ご寄進をいただいた方、お手伝いしてくださった方、お参りに来られた方、そしてお薬師様をはじめ多くの仏様や神様方のお力で、無事に三十日間の開扉会をお勤めすることができました。

本当に有り難うございました。

心にゆとりがないのは、余白のない紙面と同じようなものかも知れません。

「次の寅薬師は、いつも心に余白を残しておきなさいよ」と、お薬師様から宿題をいただいてしまいました。

合掌

※寺だよりコラムより転載
記:矢田弘雅